本を読め? (ML)

なぜ「本を読め」と言われると思いますか?

私たちが互いに幸せになるためには、一人ひとりが学んで成長することが
重要な鍵となります。そう言い切れるのは、それが普遍的なもの、
いわゆる「原理原則」の1つだからです。

学び成長するには、先ず本を沢山読め、とよく言われます。
なぜだと思いますか?

多くの人は『書いてある事を「知識」として覚えるため。』と答えます。
知識を得る、というのは、誰かの知恵を自分のものにすることと言えるので、
間違ってはいませんし、それを目的に読書する場合もあります。

本は、著者である「個人」が書いたもの。その著者の脳内にある、知識や経験、
考え方が文字として出力され書かれています。多くの人が本を書き、現代までに
数え切れない数の書籍が世に出ています。人は一人一人が異なりますから、
その数だけ、知識や経験、考え方が存在すると言えます。

よって、沢山読むというのは、沢山の考え方に触れるということになります。
本には共感できる部分や、未知な内容もありますが、自分と異なる考え方も
書いてあります。そこで、「ああ、そういう考え方もあるんだなぁ。」と一旦
肯定的に受け入れ、それから自分との差異を見ることで新たな発見(気づき)が
生まれるのです。

相手の考えを(一旦)肯定的に受け入れることで学ぶ。これは、日々のコミュニ
ケーションと同じです。対人となると、その場面には、相手と自分が持つ感情や、
観念に邪魔され、さらに、リアルタイムで処理するために、訓練できていないと
難しい面があります。

本や文章は、相手の感情が直接伝わらないので、比較的感情や観念を抑えやすく、
時間をかけたり、やり直すこともできます。「一旦肯定的に受け入れる」が対人
に比べてやりやすいのです。
このメールでさえ、観念や感情のフィルターをかけて読まれているでしょう。
一度、自分のフィルターをすべて取り払い、一旦全てを肯定的に受け入れる
意識で読み直せば新たな気づきがあるはずです。

前述のように、多くの本を読むことで、肯定的に受け入れる力がつき、コミュニ
ケーション能力の訓練にもなるのです。読解力も、結局は文章から相手の事を
理解する力です。本を沢山読むことが自己成長に繋がるというのは、こういう
意味があるのです。

また、多くの人の考え方に触れると「どうやらこれは皆が同じ事を言っている
みたいだぞ…」と、人として共通する考え方が浮かび上がってきます。
これが「原理原則」といわれるものです。冒頭に書いた原理原則も、先人が学び
共感して来ている、間違いないであろうこと、原理原則です。

やるもやらないも、決めるのは自分しだい。決めた結果の責任は自分で取ること
になりますので、自己成長は自己責任という事です。ただし、原理原則と言われ
ているものについては、なにはともあれ、素直な心で受け入れた方が良さそうだ
と「私は」思っています。

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