読後感。

みなさん、読後感を提出してくれてありがとう。

今回は内容が深く広いので、ちょっと大変だったかと思います。
新しく知ったこと、考えられたこと、そして、アウトプットできた事、
とても素晴らしいです!

さて。

読後感の批評・批判は原則禁止なのですが、
1/4の障害者や病気の人に「感謝する」、という言葉に違和感を
覚えている人が何人か居たので、たまにはちょっと私の考えも
お伝えしようと思います。

どうも、健常者が「僕の代わりに病気になってくれてありがとう」という、
そんなイメージを「感謝」という言葉に持たれているように感じました。
もしそうならば、それは違うと思います。

ここでいう「感謝」はそんな短絡的でも、上からでも、驕り高ぶりでもなく、
もっと違う次元のそれは深いもので、同じ人間という生物全体から見た
1個体として、そして、もっと自然的に湧き上がるものだと思います。

誤解を恐れずに言うと、ご先祖さまに感謝することに近いでしょうか。

ある時点だけ「ありがとう!」と強く思うのではなく、日常のちょっと
したタイミングでありがたいなぁと、自然に、じんわりと感じられる
ものではないかと思います。

ちなみにご先祖さまとは、家系図に載るような血縁のみを指すの
ではなく、すべての先人たちのことです。ご先祖様どうしがそれぞれ
関わり、今の自分が存在するのは紛れもない真実です。

自分の両親が結婚するきっかけになった誰か、たとえば間接的でも
相談に乗ってくれた友達、デートの時のレストランのウェイター・・・。
それらの人の存在自体にも多くの人(ご先祖様たち)が関わっています。
日頃大切にしろと言われている「ご先祖様」とは、先に亡くなった全ての
人のことなんです。

ちょっと話がそれました。

今回、生物のシステムとして、障がい者や病気の人が存在することを
知ることができました。
自分がいま生きている要因の1つとして、ハンデを背負った昔の1/4の
人達のおかげ、という気持ちは大いに感じて良いことだと思います。
そのハンデは、今自分がもつ免疫システムや病気に強い遺伝子を
残すための要素であったことは曲げようのない事実です。

今私たちと一緒に生きている障害者などのハンデを持った人たちは
これから先の人類を守るために存在していると言えるでしょう。
単純に、大荷物を背負わせてすまないなぁ、ありがたいなぁ。と感じます。

大切なのは、決して遠い存在ではないと認識することだと思います。

私とて、きっと何かの1/4を引き受けている。ただ、表だった症状は
いまのところ少ない、または、軽度で済んでいるだけかもしれない。
なにか病がはやれば、抵抗力もなく死んで行くもう一方の1/4かも
しれないし、これから発症する1/4かもしれない。

ただし、間違いなく重い方を引き受けてくれている人がそこに存在する。
それは自分が背負う可能性があったかもしれないが、偶然にもその人が
引き受けてくれている。
ここで感じるのは、どんな気持ちだろう?

軽度か重度の差とすれば、荷物が軽い人が重い人を助けるのは、至極
当然です。しかし日本の社会はまだ、弱者に自然に手をさしのべるところ
まで達してはいないように感じます。「生産性のない障がい者に、多額の
税金を使う意味が無いのでは。」と、本気で意見する人が存在するぐらい
です。

先ずは知ること。・・・今回は良い機会だったと思います。
知ったら伝えること。そして、行動すること。

常にあたりまえに行動できれば良いのですが、そこまで習慣できていない
私が行動するためには「動機」が要るんですよ。

そのとき、どんな気持ちを持ったら良いか。何を動機としたら良いか。
勉強不足なのか、やはり「感謝」以外に当てはまる言葉が浮かびません。

冒頭に書きましたが、決して「僕のために~」というものではないです。
「ありがとう」も、やはりちょっとちがいます。

ぴったり来る別の言葉があれば良いと思いましたが、思いつきません。
これはどうだろうと提案してもらえるとうれしいです。

井上

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