夜と霧
「夜と霧 新版」(ヴィクトール・E・フランクル)を読みました。
基本的なメッセージは以前読んだ「それでも人生にイエスと言う」と同じなのですが、なぜそのように考えるように至ったかのストーリーによってメッセージに肉付けをしたという印象でした。
以下引用
おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。
(ビスマルクの言葉として)人生は歯医者の椅子に坐っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう。
(ニーチェの言葉として)なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える。
